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ブログには書けない話

客の来ない喫茶店をやりたい

インターネットには可能性がある。沖縄、喫茶店、信頼、全てを実現できる可能性が。

僕には夢がある。

簡単にいえば、インターネッツでお金を稼いで沖縄あたり、できれば国際通りからちょっと外れた海の見える丘に、見知った友人みたいな客しか来ない、そんな喫茶店でほのぼのと暮らすこと。それが、僕の夢。

インターネットはすごい。ほんとに良い時代に生まれたと思う。数キロバイトのテキストが、上手く行けば数万人の目に留まり、そしてまたうまくいけば何らかの収益か繋がりを生む。すごい。軍事的な、そういうものからは距離を置きたいし、なるべくならそういうものが無くなって欲しいとは思うけど、それがインターネットを生み出してくれたことには本当に感謝している。ありがとね、ホントに。センキューアメリカ軍。グラッツェ

喫茶店の主としてカウンターに座ってノートPCをいじりながら、接客する。もうホントテキトーでいい。なんなら、コーヒーはセルフサービス。パンもセルフサービス、レジもセルフサービスにしたい。POSとか、そんなデジタルなものによる安心は必要ない。僕とお客さんの間にある信頼関係だけが、この喫茶店を成立させている。バックには中古のレコードプレーヤーからLucy in the sky with diamondsが流れ、ああポールのベースは良いなあ、でもボーカルはジョンのちょっと鼻にかかった感じがいいんだよなぁ、なんてキーボードを打ちながらBGMに浸っていると、お客さんもそういう会話をしていて、わかる、わかるぜその気持ちなんて思いながらもそれを口にしたりはしない。だって無粋だから。言葉にしない、でもわかってる。それがいい。そんな小気味の良い空間、それを昼下がりの淡い日差しとアスファルトが熱する「あの夏」のかおりが包む。そんな日々を送りたい。

でも、現実、現在は非情だ。

ここは東京だし、僕はまだ喫茶店を持ってない。上司ズ達との信頼関係は特にあるとは思えず、ただ「SEって辛えよな」というマイナスな感情においてのみ、意識を共有している。暖かな日差しの代わりに無機質な蛍光灯、PCの排気熱がオフィスを包んでいて、オーディオテクニカのイヤホンから流れるのはHELP!誰か、助けてくれ、誰でも良いってわけじゃないけど、そんな歌詞がブルーライトと共に目に沁みる。

でも僕は希望を捨ててない。ここに期待は持てないけど、現代にはインターネットがある。日本中、世界中に繋がる技術がある。1億人から1円ずつ集まれば、それだけで1億。そんな可能性を、インターネットは持っている。信じよう。賭けてみよう。インターネットに、グーグル検索の1ページ目に。

最高にアナログな生活を目指すために、現代最高の技術”インターネット”に賭ける。そんな感じで駆け抜けたい。2017年はまだ始まったばかりだ。

チョコレートは自分から取りに行け、人生は営業だ。甘えるんじゃない

今日はバレンタイン。おそらく日本中の男子が例のブツを得られるか、それとも坊主のまま帰ることになるか、はたまた新しいロマンスが始まるのか、様々な思惑の飛び交う日。

もちろん僕も例外ではない。たとえそのお返しが倍返し、数倍返し、あるいは「倍」という概念では表せないもの、言うなればブランド的Somethingになるとしても、獲得をしなくてはならない。

しかし、一部の例外的な、男性的魅力を持つ男性陣を除き、座っていれば自動的にチョコが自席にもたらされるなんてことはそうそうない。弊社は特にその傾向が顕著だ。しかたない。そういうイベントでワイキャイするような雰囲気ではないから。我々に訪れるイベントといえば、立会・障害くらいのもので、できればイベントなんて起こってほしくない、そういう職種。それがSier。それは誰も責められない。

そんな状況でも、やはり獲得にはいかなくてはいけない。何故か?今日がバレンタインだから。理由はそれで十分ではないだろうか?神社に行けば神頼み、泉をみれば小銭を投げる。山があったら登っちゃう。そんな僕たちなのだから、バレンタインにチョコ獲得を狙うのは至って自然なことだ。そこになんの疑問、問いかけも生まれない。

で、結果、どうだったか。見事、獲得した。一コ。なんか小分けになってるやつ。それでも一コ獲得。このバレンタイン砂漠のような環境を考えて見れば、十分に許される成果だ。獲得への流れも我ながら見事だった。複数人がけのテーブルにて「Mさん(先輩社員)、今日バレンタインみたいっすよ」「前の支社からの戦友じゃないですか、このテーブルのみんなは」「これは投資だ」などの誘い文句を駆使し、見事チョコレートを、どう考えても自分のおやつだったけど、それでも一コ手に入れることができた。これは勝利だ。営業活動、大学で習った心理学、個人的に続けてきた株式投資の積み重ねによる勝利。しかも、自分のみならず、テーブルの同胞の勝利まで得ることができた。これを勝利といわず、何を勝利と呼ぶか。営業は、身を結んだ。「ホワイトデー倍返しで頼む」というお願いをされたので、ニコと言わず三コ、いや四コにしてお返しして差し上げようと思う。そのくらい、自分から進んで提案してもいい。奥ゆかしい、遠慮深い先輩を持って実に幸せだ。

今日得た勝利は、受け身ではなく、自ら獲得に向かったことで得られた、いわば行動の勝利だった。そう、営業。僕はSEではあるが、営業活動の大切さを身を持って知ったのだ。待っているだけでは得られない。果報は寝てまっているものではなく、むしろ自分から迎えに行くもの、そういう時代に僕達は生きている。

人生は営業だ。成果は自分から取りに行け。甘えるんじゃない。行動が成果を生む。自ら起こした行動が、自分の未来を作っていく。こんな僕の人生目標は「働かずにインターネッツでお金を得ること」だったりするので、人の言動と本心は一致しない。目に見える、耳に聞こえるものが全てじゃない。本心はいつでもその裏側にある。そう、バレンタインのチョコレートのように。

 

好きな仕事ができている人は幸せだ、嫌いな仕事で安定した収入のある人より何倍も

いつからか、やりたいことではなく、やっておけば安心できることにばかりに縛られてしまっている気がする。

例えば、僕もそうだ。本当は、もっと表現であったり、伝えること、心を動かすような仕事、創作がしたい。でもやってるのはシステム屋。それもテスト。伝わるのは無機質なマス目の規則正しさだけであり、動くのは僕の心の荒みだけ。こんなことがやりたくて生きてるわけじゃない。こんなもののために生まれたんじゃない。私立文系大学というヌルい天国からそんな腐敗したIT業界に落とされた僕の心はテストという汚泥から浮かび上がれないままでいる。

とはいえ、就活をするときはこんなことは考えなかった。むしろ、そういった「表現」とか「心動かす」とか、Webメディア・広告のようなものはブラックの金字塔のように思えていた。電通タワーは死の砦。そんな風にかんがえていたし、最近の、社員の自殺事件なんか見てても、そりゃ広告業界っていうのは大変そうだなあなんて今でも思う。

しかし、だ。そんな広告代理店でも楽しめているような、いわば天職みたいな人間もいる。そういう人間は、もう何十時間でも、眠らずに仕事をしていても大丈夫なほど、仕事を楽しめている人間であり、お金とか、安定とか、そういうものじゃなく、純粋に仕事が好きだから働いている。そういう人間にとって、人生は楽しいことをしながらお金までもらえる、というまさに鬼に金棒、ゲバラにM1カーボンという具合。楽しいから、仕事をたくさんする。すると、もっと仕事ができるようになる。もっと楽しくなる。仕事をする...。これは一般的な、いわゆるワークライフバランス的観点から言えば全く不幸に思えるかもしれない。でも僕は、こういう生き方こそ、最も幸せな生き方だと思う。好きな仕事をして、それが認められて、お金までもらえる。そのためなら、この身を燃やしたっていい、そんな生き方ができる人間にこそ、人としての幸せがあるように思えてならない。

そういう人たちと比べて、自分の、ただ安定だけをとっている仕事・作業のなんという薄っぺらなことか。もうペラッペラ。何も生み出せず、時間とお金の交換をして、そのお金で消耗した心身を少しでも元に戻そうとする。最近は、茶香炉―なんかお茶っ葉を熱していい香りを部屋にさせるやつ―を買ってしまった。しかも、買ってしまった後で発送が数週間後になることに気が付いた。おいおい、一体何処から送ってくるつもりなんだ。数週間って、アメリカの通販サイトからだって数日でものが届く時代に、数週間って。そんなことをしている間にも、好きを仕事にしている連中ははるかはるか遠くまで歩みを進めている。待ってくれ、僕もそこまで行きたい、仕事楽しい→頑張れる→できるようになる→仕事楽しいの好循環(サイクル)に乗せてくれ、そう思って駆け出そうとしても、いつのまにか、足がエクセルに絡まっていて走れない。しまった、この列はテンプレ作ったアホが複数列を結合してやがるんで、項目を一気にコピペできないんだ。一個一個、コピーアンドペーストペーストするしかない。だからテストは嫌なんだ、茶香炉で気持ちを癒すのもだいぶ先になってしまっているし、僕の心は何で癒やせばいいんだろうか?もう一個、違う茶香炉を買えってか??

たとえ安定していたとしても、好きでもない仕事は人を幸せにしない。安定するのは、他社からの評価やカードの審査くらいで、肝心な、もっとも肝心な自分の心はまるで大時化のようにぐるぐるぐるぐると大荒れに荒れる。

みんな、心の不安定に支えられてるような安定なんて、捨て去ろう。本当に自分が好きな、その身を捧げてもいいくらいの仕事を見つけよう。危ない道かもしれないけど、みんなでいけば、赤信号のようなもんだから大丈夫。本当の幸せをみつけにいこう。みんなで、っていうのが大事、だって流石に僕一人では、こんな獣道、こわすぎるじゃない?

 

もっと得意なことで助け合おうよ、苦手なんか克服してないで

システムのテスト作業というのが、死ぬほど、そう文字通り死ぬほど苦手だ。

エクセルのマス目にテストする内容を書き、その右側にそのテスト方法を書く。書き終わったら、左下のマス目に移動してテストする内容を書く。書いたら、その右側にテスト方法。それを書いたら...

不毛だ。創造性のかけらもない。これが自分が組んだプログラムだったらまだいい。それは自分の子供みたいなもんだから。問題は、テストするプログラムの大半、90%以上が設計もコーディングもしていない、いわば「そのへんで遊んでた子供」であることだ。

性格も知らない。好きな食べものもわからない。どんな遊びをして、どんな友達がいるのかも僕はわからない。すると、その親が「ここにその子のことが書いてあるから」と言って資料を渡してくる。それはもちろんエクセルで書かれている。テストを書くというクソみたいな作業をする全段階として、そのプログラム・システムの使用を確認するという煩雑な作業が待っている。「いやいや、そのシステムのことわかってる人間がテスト作れよ。二度手間だろ」こう考えてもみるけど、言ったところでどうもならない。答えは簡単。テストなんて誰もやりたがらない。システム屋なら誰もが、テストの存在から目をそむけていたい。自分が作ってないものならなおのこと。

このとおり、僕はこういうテスト作業が苦手なのだけれど、同僚にはそういう作業が全く苦にならない人間がいる。すごい。僕には絶対に無理だ。エクセル自体に恨みがないにも関わらず、それがテストに関係するものの場合、ディスプレイにヘッドバットもとい頭突きをしてしまいそうになる。でも、そうならない人間が同僚にいる。僕は彼・彼女みたいにはなれない。

ただ、そういう同僚にもパワポが苦手とか、コード書くのが苦手とか、不得意な分野はかならずある。交換しよう。俺、パワポ作るから。なんなら、数十枚だろうと作ってみせる。ユーモアだって入れてやる。楽しいから。創造的だから。僕のこの「作られたものを確認するためだけのマス目埋め」作業と交換しよう。

でも、そうはいかない。不思議。お互いに苦手なことがあって、得意なことがあって、保管し合えば双方がフルパワーを出せるのに、そういうのは行われない。得意を伸ばすよりも苦手の克服に時間をかける。無駄だ。あまりにも無駄。こういうのを是とする人間はきっと、タケシに対してヒトカゲで挑戦し続けることを良しとするに違いない。ヒトカゲリザードンになって、タケシに勝つ頃には友達はシルフカンパニーを救っている頃だというのに。本当に時間のムダでしか無い。

早く、こういう「苦手をなくすことが正義」みたいな風潮がなくなって、各々が自分の良さを活かせる世の中になってほしい。いや、最近そういうの就活でも言う企業あるけど、たいていポーズだけだから。僕も「尖ってる人材を求めてる」なんて言葉につられて入社したものの、その切っ先は日々削り取られてる。そろそろ何にも刺さらなくなってる。ただ持ちやすくなった「役にたたない何か」になりつつある。

早く、お互いの得意を活かす世の中にしよう。相乗効果で良くなろう。景気を良くしよう。Make JAPAN Great Again。強い日本を取り戻そう。

 

何事も最初の一歩が重いので、バイクでいう「チョーク」代わりとしてはてなブログを使いたい

昔から物事を始める最初の一歩があまりにも重い。

バイクで言うなればキック50回でようやくエンジンのかかるポンコツぶり。エンジンがかかった頃にはどこかへ行こうなんて気力も落ち、その割にすぐエンストする。

今僕は別のサイトで記事を書いてたりするんだけれども、その更新も最初の一文字がなかなか書き出せない。書き出したら早いのだ。でも書き出せない。最初のエンジンがかからない。

そんなんだから、時間かけた割に1記事しか書いてないとか、場合によっちゃ途中で「今日のところは許してやろう」なんて、一体だれを許すのか、自分か、それはただの甘えというのでは?なんて考えてまた次のキック回数が多くなる。

そこで、はてなブログに目をつけた。ここなら自由に書けそうだから。アメーバとかいライブドアとかはちょっと自分には合わない。ああいうのはmixiで飲み会日記とか書いてたようなやつが書けばいい。僕には、はてなが向いてる。

そんなわけで、自分のエンジンがかかりやすくなるための、バイクでいうなら「チョーク」にあたるようなものとして、はてなブログを使いたいと思う。両方共「書く」に関係あるものだし、ちょうどいいんじゃないだろうか。チョーク違いだけど。