ブログには書けない話

エッセイのようなもの

ずっと黙ってたけど、実はあんまり焼肉が好きじゃない

”焼肉”といえば、みんな大好きで「ほぼ間違いなくテンションのアガる」言葉だと思う。

実際、僕だってそういう場にいるときは「イエー」「ヤバいっすね」「フー」くらいの気持ちで店に繰り出す。そのときのみんなの顔はとても輝いていて、まぶしい。

でも、正直、実は焼肉があんまり好きじゃない。別に食べられないわけじゃないし、”焼いた肉”は大体ウマい。でも、あんまり焼肉が好きじゃない。

この”気持ち”を、「どうしてみんなが好きな焼肉をそんなに好きじゃないのか」という謎を、ちょっと深掘りしてみたい。

 

食後感があまりよくない

とても個人的な感想なんだけど、焼肉って食後感があまり良くない気がする。

「あー食べた」「ウマかった」っていうよりも、どっちかというと

「お腹が苦しい」「もうしばらくはいいかな」「残ったの誰か食えよ」みたいな、そんな食後感になるのがほとんど。焼かれた肉、牛豚たちにもうしわけない。

あの胃にもたれる感じ、なんだろう。脂でやられるのかな。しゃぶしゃぶだとあんまりこうはならないので、「食後感の悪さ」は焼肉特有な気がする。

 

面倒

肉を網に乗せて、表を焼いて、裏を焼いて、焦げる前に皿に移して食べる。

焼肉好きにしてみれば「このプロセスが肉をウマくする」って感じなんだろうけど、正直めんどくさい。特に、「あー焦げる焦げる」みたいな急かされる感じがつらい。

僕が特に鬼のような面倒くさがり(ホントに一度”何らかの検査”を受けるべきだと思ってる)というのもあるけど、色んな料理のなかでも焼肉の面倒さはかなりハイレベル。

その面倒くささが、僕を焼肉から遠ざけている気がする。

 

食事なのか、飲み会なのか、イベントなのかわかりにくい

最後はとても個人的だけど、焼肉って、「食事/飲み会/イベント」なのかわかりにくい感がある。あるいは、その複合型って感じ。

僕はできればそれらを別にしたいタイプ。おいしいものを食べるときはあんまりお酒飲みたくないし、飲み会ではあまりごはん類を食べない。ラウワンのボーリングとか卓球はそれだけに全力を注ぎたい。

そういう僕みたいな人間にとって、焼肉のような「複合的レジャー」は楽しむのが難しい。脳が処理しきれないのかもしれない。

そういう「ある種の複雑さ」が、焼肉が苦手な要因の1つかもしれない。

 

まとめ

という感じで、書き出してみると

  • 食後感がよくない
  • 面倒
  • 食事か飲み会とイベントの複合型

という点が、僕が焼肉苦手な原因なのかもしれない。

もちろん、焼肉に罪はない。日本人の9割以上が大好きな言葉だし、「焼肉イイっすね!行きましょう!!」って言っといたほうが万事うまくいく。間違っても「焼肉ってあんまり好きじゃないんスよね」なんて言っちゃあいけない。

好きなものは好き、嫌いなものは嫌い。

そう言える人間は強い。でも、みんなが強いわけじゃない。ベストな選択肢は人によって違う。自分に正直な方が疲れない人もいるし、周りに合わせたほうが低ストレスで日々を送れる人もいる。自分の気持ちと、世間一般の”常識みたいなもの”。そこのバランスを上手に取る能力が、今の日本、社会には求められている。

だから僕は、これからも「焼肉ってあんまり好きじゃないなァ」と思いつつも、「焼肉ですか!最高ッスね!!」なんて言いながら日々を過ごしていく。世間とのバランスを取っていく。

僕にとって”焼肉”という言葉は、出来事は、その「世間とのバランスを取る能力」を養うための、いわば”生きた教材”なのだ。

自由に生きて、押し付けず、背中で語る、そんな人生って良さみ

昔から、教師というものが苦手だった。

いや、教師というよりも「人に教える・説く」タイプの人間が合わないんだと思う。技術的・学問的なことならいいんだけど、道徳とかこころとか、そういったものを語る人が今も苦手だ。

どうしても、「そんなことは誰でもわかってるよ、でも言われてもどうしようもない」とか思ってしまう。要するに、人間的にどこか曲がってしまっているらしい。

そんなんだから、学校の内申点はいつも悪かったし、恩師といえるような人も思い当たらない。

ただ一人だけ、妙に印象に残っている先生がいる。

僕の高校で世界史を教えていた、中村先生だ。

高校の同級生から久しぶりに連絡があって、ふと思い出す。

 

中村先生は、良く言えば個性的な、悪く言えば変わり者だった気がする。

ジャージ姿の教師たちが多い中、いつもジーンズに綿のシャツを着ていた。

銀縁眼鏡を掛け、白髪をオールバック気味にしたその風貌は、ぱっと見て気難しそうな頑固親父だったのだけど、先生が誰かを叱るところをみたことがない。

体育館につづく通路にある自販機でよくコーヒーを買っていて、通る生徒に挨拶をされると、おう、と一言だけ返す。そんな先生だった。

 

先生の授業もまた、独特だった。

とにかく、板書が多い。よく喋る。たぶん好きな箇所なのであろうところでは、一段と声が大きくなる。授業というよりは、世界史好きなじいさんの一人がたりという感じだった。

そして、誰かが喋っていても気にしない。怒ることもない。といっても、みんな板書をノートに取るのに必死なため喋る余裕はなかったけど。

普段はノートを取らない僕でも、先生の授業はノートを取った。テストが難しいからだ。あれだけノートを取らせておいて、成績はテスト一発で決まる。清々しいくらいに生徒の頑張りとか、授業態度には無関心なやりかただったと思う。

ちなみに、みんながノートを取っていたのは別に言われたからではない。みなが自主的にノートを取った。その板書量と生徒への無関心さに「たぶんテストが成績の全て&絶対にムズい」という認識を共有していたからだ。

後にも先にも、真面目にノートを取っていたのは中村先生のときだけだったと思う。

 

一番印象的だったのは、ブルガリアの話だ。

その時は僕のクラスは4限目の数学で(僕の高校では4限目はお昼の後だった)、確率だの何だのという内容だった気がする。眠かったしあんまり覚えてない。数学には興味がなかった。

廊下側の席で黒板に答えを書く友達の後ろ姿を見ていると、廊下の向こうから「ブルガリアってのは、とんでもねぇ国なん!!」という声が聞こえた。隣のクラスでは世界史をやっているらしい。

上にも書いたけど、先生は盛り上がってくると声がデカい。それこそ、昼過ぎでやる気のないクラス内には響く。隣のクラスまで聞こえるのもしかたない。でも、その続きは聞こえなかった。余計に気になる。

何はともあれ、僕たちは「どうやらブルガリアってのはヤバいらしい」とか言いながら迎えた中村先生の授業、まさにその、ブルガリアの部分だった。

一体どんな国なんだ、ブルガリアは、拷問とかそんな話だろうか、そんな期待をよそに、先生はブルガリアについて軽く触れるだけで授業を終えた。え、ブルガリアは?拷問は?ひどい肩透かしをくらった。

つまり、先生は単にその時テンションが上がってブルガリアを「とんでもねぇ国」と言っただけだったのだ。別にブルガリアはヤバい国ではなかった、ただの風評被害だった。

 

でもそのとき、僕は思った。この人、めっちゃ自由に生きてるな、と。

特に生徒に向き合うわけでもない、授業は自分の好きなことを好きなようにしゃべる。

周りの先生が道徳だ、校則だ何だと言っている中、昔は不良のシンボルであっただろうジーンズ姿で、我が道を進んでいる。

中村先生は、きっと背中で語る先生だったのだ。

その自由な生き様を見せて、教えず、押し付けず、お前らの好きなようにやれ、そんな先生だったのだ。

 

人と向き合って、色んな人に慕われて、囲まれる人生も悪くない。むしろ、普通に考えたらそれこそが「幸せ」ってことも知ってる。

でも僕は、中村先生の生き様に魅力を感じてしまう。自分勝手で、自分の前だけを向いて、その背中で大切なことを教えるような、そんな生き方に。

 

ここまで書いて、ああ中村先生めっちゃ死んだ人みたいになってるって気づいた。たぶん、まだ生きてると思う。あの頃から10年くらい経つし、そのころで50歳くらいだったからもう退職してるかもしれない。

たぶんもう会うこともないだろうけど、きっと自由に、好き勝手にやっていると思う。

そんな人生、そんなじいさんになりたいもんだ、そう思いながら25回目の夏、茹だるような暑さの8月を広島で迎えている。

この東京内に事件の犯人がいるかもしれないんだぞ!?俺は地方へ異動させてもらう!!!

広島に転勤になった。

言葉にすればこの一文で済んでしまうのだけれど、この漢字二文字「転勤」があらゆる人の生活に与える影響は大きく、そこに渦巻く感情の全てを表現するとすれば、この地球はきっとその重みに耐えきれなくなってしまうに違いない。

そんないわゆる「他人事」と考えていた人生のワンフレーズが、とうとうこちらにもその順番が回ってきてしまった。どうせ「他人事」なら、宝くじ当選とかそういうものの順番が回ってきてほしかったが、LINE桜くじを2回引いて両方5円しか当選していないので、そちらの順番が回ってくるのは当分先らしい。

転勤が決まり、数少ない、唯一と言っていい良かったことは「自分がいなくなることを嫌だと言ってくれる人たち」がいた事だと思う。先輩にも、同期にも、後輩にもそう言ってくれる人たちがいた。人には恵まれていたのかもしれない。特に同期の、それこそ入社前からの付き合いで同じ社宅という間柄の奴は「なんで行っちゃうの」みたいな事を何回も言っていて、こちらが危うく泣きそうになってしまった。

行く方も大変だけど、残される人の方が寂しさは大きいのかもしれない。環境は変わらないけど、当たり前だったものや人が少しずつ無くなっていく。転勤しない人にはその人たちの思い、感情があるのだと思う。

 

ということで、とりあえず4月からは広島での新生活、ニューライフin中区が始まることになった。

一体何をやるのかも想像がつかない。広島にエクセルはあるのだろうか。ウィンドウズは存在しているだろうか。そもそも"パソコン"という概念があるのか。埼玉という準都会に生まれ、戸籍は神奈川、現在東京で一人暮らし。そんな自分からすると、地方が怖い。シティボーイは地方を知らない。

着いたら更地があり、人事にスコップを渡されて「まずは住むところを作らないとね」なんて言われちゃうのかもしれない。それも人生。それも経験値。ひとまずは、関東から遠く離れた土地での生活を楽しんでみたいと思う。

 

とはいえ、そんなに長く向こうにいるつもりもない。違う記事でも書いたけど、今はインターネットでなんでもできる世の中、個人でもビジネスをグロースしてスケールをキャッチアップできる時代である。その流れに乗り遅れる訳にはいかない。

いい波はいつ来るか誰にもわからない。だから、賭けるしかない。うまく乗れないかもしれない、飲まれるかもしれない。でも、もしかしたら遠くまで、今までじゃ考えられなかったようなところに行けるかもしれない。そこに賭けたい。「人生を賭けるに値するのは、夢だけだと思いませんか?」MASTERキートンロッセリーニは言った。そういうことなんだと思う。僕は、出世にはそんなに興味ないけど、夢はある。人生は自分のもの。だったら、その夢に人生を賭けたい。失敗しても苦しくても、自分の信じた道を歩いていきたい。それが、人生の正しい使い方なんじゃないだろうか。

 

とりあえず、ある程度見通しがついたら「手段は何にせよ」東京に戻ってきたいと思う。身体は広島に行くとしても、心は関東においてある。

帰ってきたときには、ビッグでドリーマなボーイになってると思うので、その時は皆様、是非会ってやってください。

 

もっと得意なことで助け合おうよ、苦手なんか克服してないで

システムのテスト作業というのが、死ぬほど、そう文字通り死ぬほど苦手だ。

エクセルのマス目にテストする内容を書き、その右側にそのテスト方法を書く。書き終わったら、左下のマス目に移動してテストする内容を書く。書いたら、その右側にテスト方法。それを書いたら...

不毛だ。創造性のかけらもない。これが自分が組んだプログラムだったらまだいい。それは自分の子供みたいなもんだから。問題は、テストするプログラムの大半、90%以上が設計もコーディングもしていない、いわば「そのへんで遊んでた子供」であることだ。

性格も知らない。好きな食べものもわからない。どんな遊びをして、どんな友達がいるのかも僕はわからない。すると、その親が「ここにその子のことが書いてあるから」と言って資料を渡してくる。それはもちろんエクセルで書かれている。テストを書くというクソみたいな作業をする全段階として、そのプログラム・システムの使用を確認するという煩雑な作業が待っている。「いやいや、そのシステムのことわかってる人間がテスト作れよ。二度手間だろ」こう考えてもみるけど、言ったところでどうもならない。答えは簡単。テストなんて誰もやりたがらない。システム屋なら誰もが、テストの存在から目をそむけていたい。自分が作ってないものならなおのこと。

このとおり、僕はこういうテスト作業が苦手なのだけれど、同僚にはそういう作業が全く苦にならない人間がいる。すごい。僕には絶対に無理だ。エクセル自体に恨みがないにも関わらず、それがテストに関係するものの場合、ディスプレイにヘッドバットもとい頭突きをしてしまいそうになる。でも、そうならない人間が同僚にいる。僕は彼・彼女みたいにはなれない。

ただ、そういう同僚にもパワポが苦手とか、コード書くのが苦手とか、不得意な分野はかならずある。交換しよう。俺、パワポ作るから。なんなら、数十枚だろうと作ってみせる。ユーモアだって入れてやる。楽しいから。創造的だから。僕のこの「作られたものを確認するためだけのマス目埋め」作業と交換しよう。

でも、そうはいかない。不思議。お互いに苦手なことがあって、得意なことがあって、保管し合えば双方がフルパワーを出せるのに、そういうのは行われない。得意を伸ばすよりも苦手の克服に時間をかける。無駄だ。あまりにも無駄。こういうのを是とする人間はきっと、タケシに対してヒトカゲで挑戦し続けることを良しとするに違いない。ヒトカゲリザードンになって、タケシに勝つ頃には友達はシルフカンパニーを救っている頃だというのに。本当に時間のムダでしか無い。

早く、こういう「苦手をなくすことが正義」みたいな風潮がなくなって、各々が自分の良さを活かせる世の中になってほしい。いや、最近そういうの就活でも言う企業あるけど、たいていポーズだけだから。僕も「尖ってる人材を求めてる」なんて言葉につられて入社したものの、その切っ先は日々削り取られてる。そろそろ何にも刺さらなくなってる。ただ持ちやすくなった「役にたたない何か」になりつつある。

早く、お互いの得意を活かす世の中にしよう。相乗効果で良くなろう。景気を良くしよう。Make JAPAN Great Again。強い日本を取り戻そう。

 

何事も最初の一歩が重いので、バイクでいう「チョーク」代わりとしてはてなブログを使いたい

昔から物事を始める最初の一歩があまりにも重い。

バイクで言うなればキック50回でようやくエンジンのかかるポンコツぶり。エンジンがかかった頃にはどこかへ行こうなんて気力も落ち、その割にすぐエンストする。

今僕は別のサイトで記事を書いてたりするんだけれども、その更新も最初の一文字がなかなか書き出せない。書き出したら早いのだ。でも書き出せない。最初のエンジンがかからない。

そんなんだから、時間かけた割に1記事しか書いてないとか、場合によっちゃ途中で「今日のところは許してやろう」なんて、一体だれを許すのか、自分か、それはただの甘えというのでは?なんて考えてまた次のキック回数が多くなる。

そこで、はてなブログに目をつけた。ここなら自由に書けそうだから。アメーバとかいライブドアとかはちょっと自分には合わない。ああいうのはmixiで飲み会日記とか書いてたようなやつが書けばいい。僕には、はてなが向いてる。

そんなわけで、自分のエンジンがかかりやすくなるための、バイクでいうなら「チョーク」にあたるようなものとして、はてなブログを使いたいと思う。両方共「書く」に関係あるものだし、ちょうどいいんじゃないだろうか。チョーク違いだけど。